最近、よく聞かれるこの言葉。

いわゆるインスタグラムで映える写真(この場合の映えるというのは目につきやすく、いいねを貰いやすいという意味でしょう)になるような事象について表現するようです。

多くの企業はこれをビジネスチャンスと捉えているところも多いようです。

広告宣伝費を費やすことなく、拡散していき、売り上げも伸びれば一石二鳥でもあります。
また、多くのフォロワーを有するアカウントは自らをインフルエンサーとして企業に広告依頼をされることもあるそうです。

もちろん問題点もあります。
インスタグラムで写真をアップすることが目的になってしまい、わざわざ買った食べ物を食べることなくゴミ箱に捨てていくという本末転倒なことも起きています。

なぜ、こんなことが起きてしまうのか。
それを考える時に大事なこととして「私達はなぜSNSに写真をアップするのか」ということです。

かなり暴論になってしまいますが、休日にどこに行ってなにをしたかを知りたいと思っている人は周りにどれくらいいるでしょうか。
有名人のプライベートの時間であればまだわかりますが、本当にそう思っている人はほとんどいないでしょう。

端的に言えば、「自己顕示欲を満たすため」だと考えます。
あなたが世に言う「インスタ映え」する投稿をし、多くの人からコメントやいいねをもらう。
これで悪い気分になるひとはいないでしょう。本心かどうかは分かりませんが、少なくとも多くの人に褒められているようなものです。

この経験は普段の日常生活ではなかなか味わえる経験ではありません。しかも比較的、努力することなく達成することが出来る。

最初は自分自身が行きたかった所や興味があることの報告から、いかにいいねやコメントをもらえるかにシフトチェンジされていきます。

珍しいことや過激なことに手を出している投稿が見られるのもその影響です。


でも、どうでしょうか。
インスタ映えするスポットなどはもう既に誰かに投稿されているものになっているのも少なくありません。気付かない間に個性的なことをしているという感覚はずれていて、周りの人にとってはもう既に見たことのあるものの一つにすぎないことも。

人から抜きんでようとして、画一的なことをしている。なんとも皮肉的な状況です。

私はインスタグラムで投稿することに批判をしたいわけではありませんが、ここまでに加熱するほどの状況に少し恐怖を覚えます。

カメラを通した写真のデータを残すことも重要ですが、自分の目で見、どんな人と行って、どんな会話をしたのか。

こういった当たり前の部分も大事にしていかなければと思います。(自戒の意味も込めて)