学生時代は母や祖母が握ってくれたおにぎりを何の気なしに食べていましたが、親元を離れて暮らす今となってはなんと美味しいものだったかと気づかされます。

例えばですが、友達の家に遊びに行って友達のお母さんがお昼におにぎりを握ってくれたらどうしますか?

今、こうしたおにぎりを食べるのに抵抗がある人が多いようです。
私はあまり気にすることはありませんが、衛生面などを気にする人には抵抗があってもおかしくはないでしょう。しかし、衛生面だけの問題だけではないようにも感じます。

このことに抵抗を持つ人は外食ではあまり気にならないようです。
もちろん飲食店は衛生面に注意していますが、それを抜きにしても他人が触った食べ物を口に入れるという事実は同じです。


私は作った人間をどの程度認知しているかということが要因だと考えます。

友人の母親などの家族のような第三者は友人を通して間接的に知ることになります。
親しい友人であれば家族の話題をすることもあるでしょう。

例えば、そんな話題の中で「家の母親は家に虫が出たら手で虫を潰す」などの話を耳にしたら、やはりその人の料理を食べる際に思い出すことになります。
もちろんしっかり手を洗っているでしょうが、なんともいえない拒否感が現れてきます。

飲食店だとどうでしょう。私達は店員一人ひとりの人となりを知ることはありませんし、知ることは出来ません。それどころか店員の名前すら覚えている人はほとんどいないでしょう。
(高級料理店や個人のお店は除いた一般的な飲食店という仮定です)

私達にとって飲食店の店員は個別に認識する存在ではないからです。
わかりやすい言葉で言うのならば、「モブキャラクター」であるからです。

そういった役割を与えられ、また個人として区別されない存在は私達にとってそれ以上でもそれ以下でもないため、そこまでの考えに至りません。

同じような作り方であっても友人の母親が握ったおにぎりのはほうに抵抗を感じるのはこういったことからだと推測します。

これは個人、個人が異なった感じ方なので結論が少しふわふわしていますが、ざっくりこういうものではないかと私は思います。